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死の宣告*2010.1.15

◎2010年1月15日 FRI

 この日は、母が紹介された大学病院へ転院する日でした。
父は急遽仕事を休みにし、朝8時前、横浜の先にある入院していた病院から都内の大学病院へ車で母を連れて行くことに。
 朝、病室へ迎えに行くと、母はニコニコしながら待っていました。
どこへ連れて行かれるのか、把握していないようで、みんながバタバタしているのを不思議そうにしてました。
 トイレへ行きたいと言うので、ついていったのですが、2,3日前は普通に自分で歩きトイレへ行けたのに、この日の朝は、立つとフラフラしてしまい後ろへひっくり返ってしまいそうなくらいでした。
母は片手で手すりを伝え、片手で私の手を握り、やっとのことでトイレへ進みましたが、後はずっと車椅子になってしまいました。
 つい10日ほど前は、階段を上り下りしてお見舞いの見送りをしてくれていたのに、もう平坦な道をしっかり歩くこともできなくなってしまい、昨日今日とたった1日でどれだけ症状が進行してしまっているのか恐ろしく思いました。

 車の中で気持ち悪くなってたけど、酔ったのかな…?お腹すいたのかな?
 8時半すぎに到着したのですが、混んでいてなかなか診察してもらうまで時間がかかってしまい、CT・MRIだとか採血だとか、いろいろな検査をしているうちにすっかりお昼すぎになってしまいました。
 大学病院で待ってるときに、サンドウィッチあげたら「おいし〜♪」って笑顔でもぐもぐ食べてました。気持ち悪いのもちょっと治ったみたいでしたが、看護師さんに、造影剤で検査するから食べちゃダメって言われてしまいました。
 一通り検査が終わり、私は入院の手続き等をバタバタと病院内を行ったり来たりしていました。

 病室に行って、点滴されるとき、看護師さんに「点滴しますねー」って言われると「イヤだ!…って言ってもやるんでしょ?」っとかいってちょっと看護師さんを困らせていた。
そんな母の腕は、血管が細いせいで、点滴の青あざだらけ、使える血管がもうなくて、手のくるぶしの部分の辺りから刺すという…すっごい痛そうに体を突っ張って顔を歪ませて痛がっていました。
 

 しばらくして、私と父が診察室へ呼ばれました。
そしてMRIをPCで見せられて、私はその腫瘍の大きさに驚きました。
「え、どこが1円玉なの!?」っというのが最初の感想です。見た目、ピンポン玉かそれよりちょっと大きいくらいの像がありました。

 先生は画像を見せながら「腫瘍の外に一層白いラインが見えて、中は黒い影になっています。これは造影剤で白くなるのですが、中は壊死している為造影剤が入らず黒くなっています。」と所見を説明しました。
 このような特徴を示す脳腫瘍は『多形膠芽種』でほぼ間違えないらしい。
 そして、腫瘍は左の視床を埋め尽くすようにできていた。しかも延髄が真下にある。
できた場所が視床というとこ。脳幹近いかなり脳の真ん中の辺りにある。
私だって、医学を学んでるわけで、視床がどれだけ重要か位はわかってる。
 先生は手術して取りに行ったら最後、もう植物状態になってしまうと言った。
もし、手術で一部をとって腫瘍を小さくしたとしても、発育が早く、浸潤しながら脳全体に広がっていくから、すぐ再発してしまう。
この多形膠芽種は、予後がとても悪く5年生存率は5%程度だと説明しました。

 そして私と父の顔を交互にしっかりと見ながら、「あと3ヶ月…もしかしたら1ヶ月も…腫瘍が出血を起したり、下にある脳幹・延髄を圧迫したら一週間せずにお亡くなりになってしまうかもしれません。3ヶ月以上持ったとしても、どんどん植物状態になっていくかもしれません」っと言いました。
 
 私は呆然と聞いていました。取り乱したりすることはなくとても冷静でいました。
言っていることがわからなかった…わけではなく、言っていることはよくわかりました。
まるで、授業をうけているようで、まるでドラマか何かをみているようで…
とても他人事のように感じていました。何か第三者のようでした。

 そしたら、父が涙を流し「そうですか…」と。
泣きながら「今私達にできるのは、できるだけそばに一緒にいてあげることくらいしか…」と
私は、その時途端に自分に起きた現実だと感じて、涙が止まりませんでした。
なんだか眩暈がして、長い悪夢でも見てるんじゃないかって。そうだったらいいのに。夢だったらどれだけよかったか。

 先生に何か質問はないかと聞かれたので、「いつくらいからできていたのか?」尋ねました。
ここ半年くらいの間のようでした。
 そして、「もし発見が早ければ…?」と尋ねました。私は自分を責めていました。もっと早く大学病院へ来る判断をしていれば…と。
 だけど、先生は、たとえ発見が早くても、脳のどの場所にできたとしても、どんなに腕のいい名医がオペしようと海外へ行こうと、この腫瘍は完治することができない、と言いました。
とても辛い答えでした。小さければ発見できず、場所が悪くなくても、再発を繰り返すうちに脳全体に広がってしまう腫瘍のようです。
 なんでそんな凶悪な腫瘍があるのだろう…!?

 私達は、無理な手術は選択しなかった。
辛い、痛そうな顔はみたくない、苦しんでほしくないから。

 治療は抗癌剤と放射線による延命の為の治療になるとのことでした。
しかし、その抗癌剤も、効く人もいれば全く効かない人もいるそうで、やってみないとわからないそうです。放射線のほうは、あまり効きにくい腫瘍のようで、腫瘍ピンポイントではなく脳全体に照射する治療方法になるそうでした。

 現在、水頭症によってかなり脳圧が高まり、そのせいで健忘だとか方向感覚・方法がわからなくなる見当識障害が生じていたようで、緊急に手術が必要でした。
 水頭症を改善するためには3つの方法があるそうで、1つはドレーンで外に管を伝って直接液を排出する方法。しかしこれは、感染の恐れもあり、長くても2週間くらいで撤去が必要。
2つ目は、V-Pシャントで、通常のドレーンの管よりも細い管を皮膚の下を通らせて、頭とお腹を繋ぎ、お腹の方へ液を出させる方法。しかし、脊髄液の中に腫瘍細胞があった場合、この方法では、お腹の方に腫瘍細胞をばら撒いてしまうことになるので、禁忌とされていました。
3つ目は、オンマイヤリザボアという袋状のものを頭の中に設置して、そこに一時的に液が溜まるようにし、そこから注射器で吸い上げるという方法でした。
 3つ目が最善の方法ということで、オンマイヤリザボア留置の緊急手術を夕方過ぎに行いました。

 手術中のリスクや、術後のリスクの説明もいろいろと受けましたが、
その日の手術は無事に終わり、母も安定し眠りました。

 私はもう、ぼーーーーーっとして。。。
どう受け入れればいいのか、悩んでも泣いても心配しても後悔しても治るわけじゃない、時間が戻るわけじゃないのはわかってる。
でも、じゃあどうすればいいのって、思い出されるのはいつもニコニコして私の名前を呼んでくれる母の顔で、ただ泣く位しかできなかったです。 


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