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  • 2010.10.28 Thursday
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ちょうど一ケ月*10.2.15

◎2010年2月15日 MON

 母の余命を宣告されてから、ちょうど一ヶ月になります。
母はまだ、脳腫瘍と戦っています。
来月3月18日は母の55歳の誕生日です。

 一ヶ月経っても、ふとした時に涙が溢れるばかりです。
お見舞いに行って、母の前では笑顔でいようと、泣いてばかりいると心配かけちゃうから、泣かないようにしようと決めても、いつもポロポロ涙がこぼれてしまいます。


○丁度一ヶ月の日に記録した、私を支えてくれたいろんな方への想いです。****

 この三ヶ月、本当にいろんなことがありました。
母と私の2人でずっと住んでたこの家だけど、 独り暮らしで外に出たとかじゃなく、実家に独り暮らしというのはとても寂しいものです(´д⊂)
 でも、いろんな人に支えられて、母の友達もいっぱいお見舞いにきてくれて、私の身を案じてくれて卒業を祝ってくれて。
 母は本当にたくさんの方から愛されていました。『清美ちゃんはいっつも笑顔で、頑張り屋さんで文句や愚痴の一つも言わないのよ』『清美ちゃんがいるとみんなが笑顔になって楽しいのよ』そんな風にみなさん、私にお話してくれました。
 余命を告げられて、どうしていいのかわからなくなってたときに、わざわざ隣の隣の県から車で駆けつけてくれたり、電話で母のことを話したら私の母のことなのに涙流したり。
卒業試験合格の電話したら、泣いて喜んでくれたり、夜中までずーっと電話で話をきいてくれたり、
いてくれただけで、気持ちが落ち着けたり…
 本当に、自分一人で生きてるんじゃないって、周りに支えられて生きてるのを痛感して、とても感謝してます。
ここまでこれたのも、これからも、みんながいるから。

 試験の結果がどうであれ、私はこれからも自分のできることを頑張ります。
心配性ですぐ後ろ向きになっちゃうけど。。。
そしたらまた、ケツ引っ叩いてくだされ。

本当にありがとう。

******

 思えば2月14日にこのブログをスタートしました。
この感謝の気持ちを一生忘れないために。そして、誰かに何かを少しでも伝えたくて。

 ブログを始めるにあたってネットを見ていた時に、いろいろな方のブログの存在を知り拝見いたしました。
 同じ脳腫瘍に苦しむ方、そのご兄弟やご家族の方、別の重い病に苦しむ方…胸が締め付けられる思いで拝見しました。
 それは、辛さももちろんですが、自分の後ろ向きな考えに自己嫌悪したからです。
同じ脳腫瘍と診断されても、一生懸命前向きに頑張って生きてる方がたくさんいて、その姿にとても励まされ、このまま落ち込んで悲観してては、いつまでも泣いてばかりではダメだと。。。

 落ち込むこともあるけれど、頑張ってる母や、同じ病気の方を思い出し私も精一杯頑張り与えられた試練を一歩一歩越えて行こうと改めて心に誓いました!


国家試験の日*10.2.7

◎2010年2月7日 SUN 

-------------------------------

(日記から転載)

 2月6・7日国家試験を終えて。
お…オワタorz  の一言でした。

 ムリだと確信したので、本当に今まで応援してくれた友達や、父と弟に申し訳なくて
医療費も月何十万もかかるし(個室だし…)弟の学費はアホほど高いし、借金だってあるし、いつまでも私がお金使えるような立場じゃないのに、ダメだとなると予備校とか予備校とか…
 しかし予備校に行かずして、太刀打ちできるような国家試験のLvじゃなくなってきてるし。
実際受けてみて、「はぁ!?こんなこと習ってないし!誰がおしえてくれるの?こんなマニアックなとこまで聞く!?」みたいな問題ばっかり。
とても家で独りでやるのはムリだと…
そんなわけで、しばらく寝込みました。はぁ。

 なんで確信したのかと言うと。。。
8割正解しなきゃいけない必修問題というのが70問あります。
それが8割とれてないと、他がどんなに出来ても満点だろうが落ちます!足きりですね。
その必修が8割に届かなかった…っぽい。
なのでオワタと。

 こう、暗ーく落ち込んで、心配しているお金のことを話したら、父はこういいました。
「お前のグチグチ悩んでることなんてしょーもないちいせぇよ!ダメだったらもう一回やりゃぁいいだけの話じゃないか!来年受けれるじゃないか。卒業だってできたんだろう?!ママなんて死ぬか生きるかで戦ってるんだぞ」と。
 本当にそうだ。その通り。

 卒業式のリハーサルがあり12日に大学に行きました。
そしたら、必修なんて8割届かなかったよーって、落ちた落ちたー、予備校どーしよ?団体割引あるらしいぞーっとか言って、なんやら、旅行に行くとか、もう結果発表(3月末)まで考えないことにした、とかみんな前向きで、私もちょっと元気になったヨ。

 どうやら必修8割いってる人、3、4割りしかいないとかいう噂。
毎年、なんらかの問題が削除になったり不適になったりしてるから、まだわからないらしい。
だけどきっとダメだろうなー。
 でももし、ダメでも、あきらめるわけにはいかないから、私はできるまでやるしかないのだ。
必修問題見直したけど、「アッー!!!!!!!!!!!!!1111」ってカンジの…取れただろうに!っというとこがあったもん。
やっぱその辺甘いんだ。自分の勉強不足です。
みんなが間違えたトコとか、正解してるのによぉ…。


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 いつまでもずっと悩んでいても、結果が変わるわけではないし、悩み反省することはプラスになっても、ずっと悩み続けていても、少しも前に進まないですよね。うじうじと無駄な時間を費やしてしまう。
 きっと、母だったら、先に進む光をくれるに違いないから、だから私も前向きに…とりあえず結果のでる3月末までは、考えてもしょうがないので前向きに頑張ることにしました。


ドレナージに変更*10.02.03

◎2010年2月3日 WED

 生検後ICUに入っていましたが、翌日1月26日に病室に戻ったようで、午後私が病室に行くと、今まで目をずっと瞑っていたままの母が、なぜだか目を開けていました。
 いろんな話をすると、うんうんと頷いていました。

 生検の結果が出るのは、2週間くらいかかるそうでした。
 内視鏡下で直接腫瘍を目で見た結果、やはり多形膠芽腫に間違えないそうで、多形膠芽腫の画像所見を何例も見てきている他大学病院の先生にもMRIを診てもらったそうですが、やはり多形膠芽腫という判断だったということで、生検の結果を待たずに治療を進めることとなりました。
 後に結果が出たのですが、取ってきた腫瘍が壊死していたらしく、結局生検で分からなかったそうです。

 一方、入院当日に緊急手術で脳内に留置したオンマイアリザボアの袋からは毎朝30〜40ccの脳脊髄液を抜いていて、そちらも生検を行ったところ、腫瘍細胞が検出されなかったので、チューブを頭からお腹に通すV-Pシャントを行うこととなりました。
 オンマイアリザボアは毎朝、注射器で液を引き抜くのはかなり痛いみたいで、抜いた直後の状態は良くても、時間が経つにつれて、液が溜まり状態が悪くなってしまうようなのです。
 入院当初は、液に腫瘍細胞がいるかどうかわからなかったために、V-Pシャントは禁忌だったのですが、検出されなかったので、行うことができるようになったのです。

 2月1日にV-Pシャントの手術を予定していました。
しかし、この日になって突然中止になりました。
 どうも、25日に内視鏡下で腫瘍の一部をとってから、脊髄液の性状が変わってきてしまったらしく、液にタンパクや血液が多く混じっているようで、V-Pシャントの管は皮下を通す為かなり細く、今のまま行うと、途中で詰まってしまう危険性があるので、液の性状が整うまで待つこととなりました。
 その間、ドレーンを設置して、太い管で外へ直接液を排出することとなり、2月3日に脳室ドレナージを設置する手術をすることになりました。


卒試合格発表と生検*10.1.25

◎2010年1月25日 MON

 今後の方針説明やら、検査やらその承諾やらで病院へちょくちょくと呼び出されたり、高額医療費の負担軽減のなんたらで役所へ行ったりだとかバタバタさせられ、1月25日をすっかり忘れてましたが、卒業試験の結果発表でした。
 前日に友達から電話があり、やっと気づいたという…
 もう朝から胃が痛いしゲロっちゃいそうだし、もう眩暈が…
10時発表で、11時位に行ったのですが、掲示板の前に同期の人がいたりして、近づけなくて怖くてトイレに逃げ込むというチキンっぷり。 落ち着いてからこっそり見に行った。

 そして人がいなくなったところで…141、142、143 私の名前。あ、ある、あ、名前がある、あ、受かった、え、いいんだよね?一回去ってからまた見に行った。なんか幻だった気がして。
そしたらあった、受かってた…!
 今まで辛かったことがこみ上げてきて、掲示板の前で号泣してしまいました。
なんか落ちた人みたいですね。本当に落ちたと思ってたから。
 164人中104人が卒業となりました。友達が落ちててショック…。

 その日、母に合格を伝えました。
わかったかな?もっと発表が早ければ「おめでとう」が聞けたかもしれない…
 卒業試験の前日に入院している母に電話した時、「エリたんが今まで頑張ってたの、ママがよーく知ってるから、だからエリたん絶対大丈夫だよ」っと言ってくれたのを思い出します。
 私はそれを「プレッシャーかけないで!」っと言ってプンプンしたのでした。
そんなつもりで言ったんじゃないんだよね、本当に信じてるからそう言ったんだよね…ごめんね、ありがとう…。
 一番合格を伝えたい、きっと一番合格を喜んでくれる、母に「おめでとう」って言って欲しかった…な
でも、きっと心の中で、伝わって、心の中でそう思ってくれてるに違いないって信じてます。

これから国家試験にむけてまだ頑張らないといけない。
みんなに支えられてここまで頑張ってこれました。
最後まで頑張らないと。


 この日は、生検の為に腫瘍の一部を内視鏡下で摘出する予定でした。
MRIでの画像で、ほぼ多形膠芽腫に間違えないとのことでしたが、100%そうとは生検をしてみないと言い切ることができず、確定診断がつかないまま治療を進めることもできません。
なので、生検を行うことになりました。
 生検のための腫瘍一部摘出手術は無事に終わり、術後、集中治療室にはいりました。


もう声も聞けない*2010.1.18

◎2010年1月18日 MON

 翌16日、母のお見舞いへ行くと、食事も食べさせてあげないとできないような状態だった。
昨日、自分でサンドウィッチ美味しいって食べてたのに…
私が呼びかけるとにっこりこっちを向いて「エリたん♪」って呼んでくれました。

 しかしその翌日17日、日曜日、父と病室へ行くと、もう話す事ができなくなっていました。
所謂失語症です。呼びかけると目をうっすらあけて…話しかけるとただうなづくことしかできなくなってて…
ほとんど目を瞑っているだけになっていました。

 その次の日18日には、もう目も開けることはできませんでした。

つい一週間前に、ニコニコしながらお話して、「試験終わったらディズニーシー行こう!」って約束して、つい3日前は「エリたん♪」って笑顔で呼んでくれたのに。
あまりの進行の早さに父も私も愕然としました。

 その状態に父も「もうあんま持たないかもしれないなぁ…」と。
そして私に、「もしかすると、国家試験の直前や当日に逝ってしまうかもしれない、でもそれでもちゃんと平常心で国家試験を受けなきゃいけない」っと言いました。
 わかってる、わかってるよ。。。。

 国家試験は2月6・7日、もう残り時間がありません。
大学帰りに毎日病院へ通い、精神的にも体力的にもぐったりしながら、それでもやっとで勉強しました。
 そもそも、卒業試験に受かってないかもしれないっと受かってなかったら国家試験受けられないし…と、この生殺し状態もまた勉強に集中できない原因でした。
 いつものように家の2Fで勉強していると、階段を登ってくる足音がして、ガラっと扉が開き「えりちゃん、おやつ買ってきたよ〜♪」っと笑顔の母が来そうで来そうで…でも、もう来ることはないんだ…そんなふうに、ふと母が思い出されて、お陰で私の参考書や問題集は涙でヨレヨレになってしまいました。

 こんなんで、試験なんて受かるわけが…
母の事を理由に、不合格だったときの逃げ道を考えてしまう自分が嫌でたまりませんでした。


死の宣告*2010.1.15

◎2010年1月15日 FRI

 この日は、母が紹介された大学病院へ転院する日でした。
父は急遽仕事を休みにし、朝8時前、横浜の先にある入院していた病院から都内の大学病院へ車で母を連れて行くことに。
 朝、病室へ迎えに行くと、母はニコニコしながら待っていました。
どこへ連れて行かれるのか、把握していないようで、みんながバタバタしているのを不思議そうにしてました。
 トイレへ行きたいと言うので、ついていったのですが、2,3日前は普通に自分で歩きトイレへ行けたのに、この日の朝は、立つとフラフラしてしまい後ろへひっくり返ってしまいそうなくらいでした。
母は片手で手すりを伝え、片手で私の手を握り、やっとのことでトイレへ進みましたが、後はずっと車椅子になってしまいました。
 つい10日ほど前は、階段を上り下りしてお見舞いの見送りをしてくれていたのに、もう平坦な道をしっかり歩くこともできなくなってしまい、昨日今日とたった1日でどれだけ症状が進行してしまっているのか恐ろしく思いました。

 車の中で気持ち悪くなってたけど、酔ったのかな…?お腹すいたのかな?
 8時半すぎに到着したのですが、混んでいてなかなか診察してもらうまで時間がかかってしまい、CT・MRIだとか採血だとか、いろいろな検査をしているうちにすっかりお昼すぎになってしまいました。
 大学病院で待ってるときに、サンドウィッチあげたら「おいし〜♪」って笑顔でもぐもぐ食べてました。気持ち悪いのもちょっと治ったみたいでしたが、看護師さんに、造影剤で検査するから食べちゃダメって言われてしまいました。
 一通り検査が終わり、私は入院の手続き等をバタバタと病院内を行ったり来たりしていました。

 病室に行って、点滴されるとき、看護師さんに「点滴しますねー」って言われると「イヤだ!…って言ってもやるんでしょ?」っとかいってちょっと看護師さんを困らせていた。
そんな母の腕は、血管が細いせいで、点滴の青あざだらけ、使える血管がもうなくて、手のくるぶしの部分の辺りから刺すという…すっごい痛そうに体を突っ張って顔を歪ませて痛がっていました。
 

 しばらくして、私と父が診察室へ呼ばれました。
そしてMRIをPCで見せられて、私はその腫瘍の大きさに驚きました。
「え、どこが1円玉なの!?」っというのが最初の感想です。見た目、ピンポン玉かそれよりちょっと大きいくらいの像がありました。

 先生は画像を見せながら「腫瘍の外に一層白いラインが見えて、中は黒い影になっています。これは造影剤で白くなるのですが、中は壊死している為造影剤が入らず黒くなっています。」と所見を説明しました。
 このような特徴を示す脳腫瘍は『多形膠芽種』でほぼ間違えないらしい。
 そして、腫瘍は左の視床を埋め尽くすようにできていた。しかも延髄が真下にある。
できた場所が視床というとこ。脳幹近いかなり脳の真ん中の辺りにある。
私だって、医学を学んでるわけで、視床がどれだけ重要か位はわかってる。
 先生は手術して取りに行ったら最後、もう植物状態になってしまうと言った。
もし、手術で一部をとって腫瘍を小さくしたとしても、発育が早く、浸潤しながら脳全体に広がっていくから、すぐ再発してしまう。
この多形膠芽種は、予後がとても悪く5年生存率は5%程度だと説明しました。

 そして私と父の顔を交互にしっかりと見ながら、「あと3ヶ月…もしかしたら1ヶ月も…腫瘍が出血を起したり、下にある脳幹・延髄を圧迫したら一週間せずにお亡くなりになってしまうかもしれません。3ヶ月以上持ったとしても、どんどん植物状態になっていくかもしれません」っと言いました。
 
 私は呆然と聞いていました。取り乱したりすることはなくとても冷静でいました。
言っていることがわからなかった…わけではなく、言っていることはよくわかりました。
まるで、授業をうけているようで、まるでドラマか何かをみているようで…
とても他人事のように感じていました。何か第三者のようでした。

 そしたら、父が涙を流し「そうですか…」と。
泣きながら「今私達にできるのは、できるだけそばに一緒にいてあげることくらいしか…」と
私は、その時途端に自分に起きた現実だと感じて、涙が止まりませんでした。
なんだか眩暈がして、長い悪夢でも見てるんじゃないかって。そうだったらいいのに。夢だったらどれだけよかったか。

 先生に何か質問はないかと聞かれたので、「いつくらいからできていたのか?」尋ねました。
ここ半年くらいの間のようでした。
 そして、「もし発見が早ければ…?」と尋ねました。私は自分を責めていました。もっと早く大学病院へ来る判断をしていれば…と。
 だけど、先生は、たとえ発見が早くても、脳のどの場所にできたとしても、どんなに腕のいい名医がオペしようと海外へ行こうと、この腫瘍は完治することができない、と言いました。
とても辛い答えでした。小さければ発見できず、場所が悪くなくても、再発を繰り返すうちに脳全体に広がってしまう腫瘍のようです。
 なんでそんな凶悪な腫瘍があるのだろう…!?

 私達は、無理な手術は選択しなかった。
辛い、痛そうな顔はみたくない、苦しんでほしくないから。

 治療は抗癌剤と放射線による延命の為の治療になるとのことでした。
しかし、その抗癌剤も、効く人もいれば全く効かない人もいるそうで、やってみないとわからないそうです。放射線のほうは、あまり効きにくい腫瘍のようで、腫瘍ピンポイントではなく脳全体に照射する治療方法になるそうでした。

 現在、水頭症によってかなり脳圧が高まり、そのせいで健忘だとか方向感覚・方法がわからなくなる見当識障害が生じていたようで、緊急に手術が必要でした。
 水頭症を改善するためには3つの方法があるそうで、1つはドレーンで外に管を伝って直接液を排出する方法。しかしこれは、感染の恐れもあり、長くても2週間くらいで撤去が必要。
2つ目は、V-Pシャントで、通常のドレーンの管よりも細い管を皮膚の下を通らせて、頭とお腹を繋ぎ、お腹の方へ液を出させる方法。しかし、脊髄液の中に腫瘍細胞があった場合、この方法では、お腹の方に腫瘍細胞をばら撒いてしまうことになるので、禁忌とされていました。
3つ目は、オンマイヤリザボアという袋状のものを頭の中に設置して、そこに一時的に液が溜まるようにし、そこから注射器で吸い上げるという方法でした。
 3つ目が最善の方法ということで、オンマイヤリザボア留置の緊急手術を夕方過ぎに行いました。

 手術中のリスクや、術後のリスクの説明もいろいろと受けましたが、
その日の手術は無事に終わり、母も安定し眠りました。

 私はもう、ぼーーーーーっとして。。。
どう受け入れればいいのか、悩んでも泣いても心配しても後悔しても治るわけじゃない、時間が戻るわけじゃないのはわかってる。
でも、じゃあどうすればいいのって、思い出されるのはいつもニコニコして私の名前を呼んでくれる母の顔で、ただ泣く位しかできなかったです。 


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