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  • 2010.10.28 Thursday
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またも白紙*2010.1.14

◎2010年1月14日THU

 私の不安はこの日、的中してしまいました。

 いつも通りに朝食を用意し、お昼過ぎに病院へ行く準備をしていたところに、一本の電話がありました。
入院先の病院からでした。今日は見舞いに来るのかと聞かれ、ちょこっとお話があるので来院したら父と病室で待っていて欲しいとのことでした。
私は、いやな予感がしていました。やっぱり容態が急変したんじゃないかと、胸騒ぎがしていたのですが、なるべく考えないように…

 そして病院へ行き病室で待っていると先生が来て別室へ移動しました。
そこで、「昨日とったCTですが…」とCTを見せられました。
それを見ると左の脳がだいぶ小さくなっているのが素人目にもわかりました。
 先生の説明では、脳と脊髄を循環している、脳脊髄液の通路が腫瘍によって塞がれて、頭に液が溜まり水頭症を起しているとの事で、23日までこのまま何も処置をしないというのは、もしかしたら危険かもしれないという。
 やっぱり。。。っと思いました。もしかしたらではなく、確実に危険だ…。
 しかし福島先生の病院の予約は23日。電話して事情を説明してなんとかならないか相談してみたものの、入院自体を早めても、今月(1月)は手術がいっぱいで埋まってしまっているので、早くても処置できるのは2月になってしまうという。
 そして、福島先生の病院と提携している特定機能病院を紹介され、必要ならばメールを送って連絡しておくとのことでした。
 一方、現在入院している病院からも、大学病院を紹介されて、そこならば今すぐに紹介状を用意できるとのこと…。
 結局また話が白紙戻ってしまいました。これで3度目です…。
 どっちがいいものやら…。しかし、家に帰って調べているような時間はなく、その場で決断を迫られてしまったので、すぐに紹介状を用意できると言われた大学病院へ早速翌日行くことにしました。

 家に帰って調べてみました。
 リアルタイムで腫瘍の位置を確認しながら、オペできるような設備のあるところ等、やはり脳はできるだけ切り開かないために、高度な医療設備が備わっているところが良いみたいです。
 大学病院のホームページには、設備や術式の説明や症例数が掲載されているので、見比べてみるといいと思います。
 あとはやはり、今、お見舞いの毎日の生活になって思うのは、家からの距離だと思いました。
決めた大学病院は、家から車で3,40分です。交通の便はなかなか良いです。
電車で通うことになるご家族の方は、毎回電車で通うのは大変かと思います。
 決断したその日は、「遠くても設備の整った良い病院なら…」と思っていましたが、大学病院や特定昨日病院は大差ないと思うので、交通の面から選んでも悪くないと思います♪


私の誕生日♪*2010.1.10

◎2010年1月10日

 結局、元居た病院に戻り、また入院生活がダラダラと始まりました。
私は卒業試験を終えて一段落していました。
 大学の帰りに電話して、それからお見舞いに行く途中のパン屋さんで、母の大好きなクロワッサンを買っていくと、とっても喜んで美味しそうに食べました。
いつも、質素なおかずにおかゆ…、決して消化機能が悪くなっていたり、栄養コントロールしているわけじゃないので、ちゃんとご飯を食べないと余計に栄養状態が悪くなりそうな食事でした。
 1月10日は、私の誕生日でした。
本当は、ケーキか何かを買って行って、一緒に食べようかと思ったのですが、電話してどんなケーキがいいか聞いたら、最近お見舞いに来た方に頂いたゴディバのチョコがとっても美味しくて気に入ったらしく、それをまた食べたいっというので、ケーキはやめてチョコを買って持って行きました。
ゴディバっていうと1つで高そうなイメージですが、可愛くラッピングされた箱入りのチョコでそんなに高くなく、しかもすっごく美味しい!私も試験の日に持っていって1つ食べました。

 チョコやクロワッサンを持って行って励ましていたのですが、心配な気を紛らわせていたのは私の方でした。
 私は不安でした。先生は23日の予約してある日まで、時間的には大丈夫だと言っていたのですが、毎日お見舞いに行っていた私には、母の状態の変化の早さを感じていました。
 つい先週のお正月は、お見舞いに行くと楽しそうにお正月のTV番組を見て、帰るときには出口まで見送りに来て、にっこにっこの笑顔で手を振っていて…
電話もメールも母から送られてくるし、電話すればしっかり話して、「ママはおバカになっちゃったのかなー」っと愚痴ったりしていました。
お正月にお雑煮を作ろうと思って、電話して出汁の取り方を聞いたら、丁寧に説明してくれたりしていたのに…
 それが、お正月明けには、もうメールや電話が来ることがなくなってしまい、メールも返信できず、最後は電話も取れたり取れなかったり…。
 電話が鳴っているのは分かっているのですが、どこを押せばいいのかわからないようで、私がお見舞いに行くと、いろいろボタンを押した形跡が残っていました。
 そして1月10日になる今日最近は、お見舞いに行ってもTVを見てることもなくなり、ベッドの上に不安そうにうつむいて座っていました。お見送りもできず、お部屋でお別れしていました。
 だんだんと口数が少なくなり、トイレも、行けたり行かれなかったり不安定になっていました。

 そうそう、おトイレと言えばこんなことがありました。
母は、おトイレを部屋でしてしまうことがありました。でもそれは、おもらしではなく、トイレに行きたくなって行動しようとするのですが、部屋からどうやって出たらいいのかわからなかったり、トイレには行くけど、その後どうしていいのかわからなかったり…母は「How to がわからないのよ、でも漏らしてるわけじゃないの!パンツはきれいだもん」って言っていました。
 それなのに、部屋を掃除しに呼んだ看護師さんが「オムツの方が楽でいいかしらねぇ」っとか言うので、母はとてもショックを受けました。ボケ老人じゃないのに!っと。
 そこで私が、看護師長さんを呼び出して、経緯を話し、理解が足りないとお説教してしまいました。
ついでに、「母はもう自分が腫瘍だと知っています」っというと、どうやらまだ病院側では「脳梗塞」にしてあると未だに隠していたようで、情報管理のなさにちょっと呆れてしまいました。
 個人個人としては、母のことを気遣ってくれたりありがたいこともあるのですが、どうしても病院の信用に欠けてしまうのはしょうがないです><

 そのこともあり、23日まで大丈夫なんて言っている病院を信用していいのかと不安でした。


卒業試験とサイバーナイフとママ脱走*2010.1.8

◎2010年1月8日

 1月7日、8日はいよいよ卒業試験でした。
世間一般の大学の卒業試験というのはどういう水準なのかよくわかりませんが、
私の通う歯科大学の卒業試験はかなり問題の難易度も高く、合格のハードルも高いです。おまけに1月と12月の二回あります。
通常の定期試験では、ある一定の点数以下だと不合格になります。なので、科目によっては、不合格者が0人だったり50人だったりするのですが、卒業試験はそういった一定の点数というものがありません。
全員が定期試験でいうある一定の点数を越えていたとしても、下から順に必ず何人かは不合格になるっという仕組みなのです。だいたい3〜4割りくらいの人が留年となってしまいます。
 実は私も、その不合格になった人の一人で、去年の卒業試験で落とされて、二度目の6年生でした。
去年は、いろんな理由があったとはいえ、明らかに勉強不足だった自分の責任!
今回は一年間それなりに頑張ってきたはず!だけど一筋縄でいかないのが卒業試験。難易度は相当なもの…。
 自分なりに頑張ったけど、冬休みの十分な時間なかなか勉強にも集中できず、おまけに、年末お正月の無理が祟って風邪を引いていました。不安なまま望んだ卒業試験。
 試験終了し、自分も放心状態…全てが終わったような感じでした。もう、頭が真っ白で、なんだったのかよくわからない。そんな感じです。
 自信が全くないのです。どんな問題だったのかも覚えてなくて、ただ一つ覚えてるのは、試験中に吐きそうになって、麻婆豆腐が込み上げてきてゴックンしたら喉がすっごい痛かったこと位…。


 そして8日は紹介状を用意してもらっていたサイバーナイフでの治療を行えるという病院への転院の日でもありました。
 私は試験で行かれないので、弟が車で連れて行くことになっていました。
 どうなったのか分からないまま、試験を終えた私は、すぐに母に電話しました。
紹介された病院について尋ねると、「今○○病院(元居たところ)なの〜戻ってきたの〜」っと言いました。
どうしてその病院に戻ってきてしまったのか、何があったのか全く事態が分からず、母に聞いても、母もよく分かってなく、おまけに「今日大変だったの〜迷子になっちゃったの〜」っと言ってました。
とりあえず家に帰り、弟に詳しく聞いた話に衝撃を受けました。

 やはり、紹介先の病院に行ったけれども治療等できず追い返されてしまったようでした。
なぜ追い返されてしまったのか…当初サイバーナイフでの治療ができるという説明を入院していた病院から受け、紹介状を書いてもらったのですが、
紹介先の病院では、『どういった腫瘍かわからない状態ではサイバーナイフを当てることができない、もっと精密な検査が必要』っと言われました。
 それなら、サイバーナイフでの治療をする為の検査等がなぜあらかじめ行われていなかったのか…、明らかに情報伝達や情報提供がうまくいっていないと感じました。
 そのうえ、書類には、診断名の口裏を合わせていたので腫瘍ではなく『初期脳梗塞』っと書かれていたのですが、情報が伝わっていないのか、CT画像を見た先生が、母と弟の前ではっきりと「これは脳梗塞ではなくて、脳腫瘍ですね」っと言ってしまったらしいのです。
入院していた病院の先生は「紹介先の先生には伝えておきます」っと言っていたはずなのに…
 呆然とする弟、事態がよくわからず混乱する母。あまりに酷い結果です。

 話が白紙に戻ってしまいました。
『どういう腫瘍か』わかるには生検が必要?ってことは、やっぱり開頭して腫瘍の一部を取らないといけない??
 悩んだ弟は、最終的に腫瘍を摘出することを考え、それならばなるべく設備の整った病院、腕の良い医者に見てもらおうと、最近テレビでも取り上げられていた『神の手』を持つと言われる福島先生の病院へ行こうと決心しました。
 すぐに家に戻り、必要な書類をプリントアウトし用意して、電話予約をとりました。
最短でも1月23日になるということでしたが、その日に予約をとることにしました。

 家から入院している病院まで往復で約一時間半、この間に事件が起きました;;
母の病室へ戻ると母がいません。最初はトイレにでも行ったのかな?そう思ったけれど、やけに時間かかってる、また迷子にでもなったのかな?
そう大きな病院ではないので、探せばすぐ見つかるはずです。
だけども、母がどこにもいない…!?
 弟は、母の携帯もなくなってることに気づきました。
電話かけてみると、繋がった!!母は、携帯がおかしくなったからソフトバンクへ行こうと思って外に出て行ったらしいのです。
 弟はとりあえず母に、コンビニで待つように言って、急いで探しに行きました。
全く知らない土地、どこのコンビニなのか…母が言う『近くに目印になるモノ』を頼りに、携帯のGPSで自分の位置を確認しながらひたすら走り回ったそうです。
 ヒントになるのは目印と、母は坂を上れないっということだけでした。
入院していた病院の脇には坂があり、その途中に駐車場があります。
車で紹介先の病院へ行こうとしたところ、坂が上れず、前に進もうとしても下がっていってしまったそうなのです。
 必死に探してようやく母が見つかりました。母は、病院内で着ていたパジャマのまま、裸足に病院のスリッパでこの1月の寒い外を歩き回っていたそうです。
 どうして看護師は把握してないの!?受付に人がいるのに、どうして誰も見てないの!?
正直、今回の情報伝達の不行き届きといい、母の脱走事件といい、病院に対する不信感が沸きました。
 情報や管理だけでなく、説明も不足していて、『これからどうするの?どうなるの?』そんな、治療計画や予後、先行きが全く見えません。
腫瘍のことだって、『一円玉くらいの腫瘍が真ん中辺りの左脳にある』ってことだけで、どんな腫瘍なのか診断名等もまったく説明されてません。
 それが母や、私達家族をどれだけ不安にさせたことか…。
 さらに、弟が放射線の先生から教えてもらった話で、最初からサイバーナイフ当てられるような場所ではなかったと、また、腫瘍が2つあるということもわかりました。
院長がサイバーナイフをするって決めたから、何もいえなくて申し訳なかったと言われたそうです。

 先生は、母に「残念ながらきれいさっぱり良くなります」なんて言ったりした。
今まで、サイバーナイフで開頭することなく腫瘍を取り除ける。8日にサイバーナイフで治療してもらえる。
そんな風に、母も私達も思っていました。それがこの有様です。
 今日治る、よくなる、家に帰れるっと思っていたのに、話が白紙になり、おまけに予期せぬ腫瘍の告知、この反動のショックはとても大きいものでした。
「ママ、相当ショック受けてた」と、弟に聞かされたとき、母が可哀想で私もとてもショックでした。
最初にこの病院に来たこと、私のしたことは間違ってたのかな?どうすればよかったのかな…?

 話が白紙になり、先行きが不安になってきました。
私は、23日の予約の時期が不安でした。あと二週間近く待っていて平気なのだろうか?
この病院にあと二週間も入院させておくことも不安でした。


お正月の私*2010.1.4

◎2010年1月4日WED

 私は心配で不安な日々を過ごしていました。
夜寝ても1,2時間で目が覚めて、不安から吐き気に襲われたり、また過呼吸になりそうな不安もありました。
 毎朝起きて食事から洗濯、掃除…家事をしながら午後は病院へ行き、帰るとぐったり…。
1月7日8日に迫った、卒業試験に向けての勉強…。
勉強する時間も殆どなければ、こんな時に集中できるほどの精神状態でもなく…。
やらなきゃいけない、失敗したら卒業できずにまた一年間繰り返すことになってしまう…。
今頃他のみんなは試験に向けてガリガリ勉強してるんだろうなぁ。
不安と焦る気持ちでいっぱいでした。

 母が入院しショックを受けていた頃、弟が帰省して居るだけで、ちょっと話しているだけで、少し不安から開放されて、落ち着けました。精神的にとても支えられました。
 家族にとても支えられました。だけど正直、父や弟がいて負担が増えたというのも事実!
だって、誰も全然協力してくれないんだもん!
私が早く起きてご飯作っても、みんなグータラ寝てて、後片付けもしてくれない!><
物を出したら出しっぱなし!ゴミはその辺にポイポイ捨てて散らかすだけ散らかして、ちっとも掃除しない!
洗濯物は増やすだけ増やすし、お風呂とトイレはすぐ汚れる!
たまには、朝のゴミ出ししてよ〜!!
お陰で勉強する時間も全然ない!時間があったとしても集中できるかわからないけど。。。

 っとちょっとぶちまけたらスッキリしました(*´∀`*)

 実はそんな不満を、入院している母に愚痴った事がありました。
母は、いつも自分がやっていた事なので、私のストレスを身に染みて分かってくれて、私が母を励ます立場だったのに、逆に励まされてしまいました。
「えりたんは、よ〜く頑張ってるよ、ママは知ってるよ〜」笑顔で私を慰めてくれました。
 お正月明けて、母の様子も変化なく、私もちょっとずつ安定してきて、勉強に集中できるようになったので、お見舞いは父と弟に任せて、家で勉強していました。
 母は、父と弟に、ちょっとは私に協力するように言ってくれたんだと思います。
ちょっとずつ協力してくれるようになりました。
父なんて、何をどう手伝えばいいのかわからないのか、オロオロしながら、なぜか埃まみれだった虎の置物を突然磨いて「寅年〜」っとか言ってました。

 きっと普段からこなしている方にとっては何のストレスもなくこなせることなのかもしれませんが、私にとってはかなりの負担でした。
 ずっと実家暮らしで料理なんて全然しないし、母に任せっきりだったので、すぐ『どうやるの?こういう時ってどうするの?』な壁にぶち当たります。
 だいたい、何がどこにあるのか全然把握してなくて、でも母に聞いても脳腫瘍のせい(?)でチンプンカンプンだし…。
 一番困ったのが、書類関係!ひっきりなしに、家に届く『重要』『親展』の赤文字…。
銀行だとか、カード会社だとか…全く把握してないし、母に聞いても今は分からないだろうし、今そういうことを聞きたくない…。
 自分が、未熟で、全然頼りなくてダメダメで…25歳になってもこんなんで、本当しょーもない…と自己嫌悪でした。

 だけど、だからこそ今頑張って、そして母が退院したら、ご飯作ったり手伝ったりしよう!
弟と一緒に作ったゴハンを携帯で写真撮って、母に送って「家帰ってきたら、今度作ってあげるね!」って約束し、楽しみにしてました。


脳腫瘍発見*09.12.28

◎2009年12月28日MON

 日曜日の夜はずっと母の手を握って、隣で見守りながら寝ました。
夜中に突然、容態が急変したらどうしよう…このまま起きてくれなかったら…私が眠ってる間に一人で起きて部屋を出てすぐの階段から落ちてしまったら…これからどうなるんだろう、もしこのまま母が私のことまで忘れてしまったら…不安がいっぱいでろくに眠れず、月曜の朝を迎えました。

 母の代わりに、食事を用意し朝食を済ませ、すぐに車で前日電話した病院に連れて行きました。
 車の中で、母は自分がどうして病院に連れて行かれるのかよくわかってなかったみたい。
「昨日、救急車来たんだよ」って言っても、覚えてないみたいで、「そういえば、知らないおじさんがイキナリ来てビックリした」って言ってました。
救急車を呼んだ理由や経緯を話しても、「そうなの〜?なんで〜?どうして〜??」ってチンプンカンプンでした。
 私が持たせたミニーちゃんのぬいぐるみを抱いて、そわそわと不安そうな様子でした。
分からない事をいくら考えても分からなくて、なんで分からないか考えてもやっぱり何も分からない、その『分からない』事がとても不安にさせているんだと思います。
鞄の中を見て、「保険証は持った来たっけ?」と何度も確認していました。
いろんな事が不安で心配なんだと思います。「ママは心配しなくても大丈夫だよ」ってずっと励ましていました。
 本来ならば、この日は、父が中国へ旅行に出かける日でした。
母は、「パパ、旅行は?」「折角なんだから行っておいでよ〜」って、自分の心配よりも、父の旅行を気にしてました。
そういう事は覚えているのだけど…。
 覚えている事と分からないことが斑で…どうしてなのか、何が分かることなのか、とかハッキリしたことは、脳みそのことなんでよくわかりません;;

 何年かぶりの病院に到着しました。小学校以来でしたがちょっと寂れた病院も、穏やかな口調の院長先生も、小学生の時よく絡んで遊んで貰った放射線の先生も相変わらず変わっていなくて、懐かしかったです。
 院長先生の診察で、私は事細かに母の様子を伝えました。
先生は「まぁ、問題はないと思いますけどね、娘さんも、もうすぐ試験だし、貴方がお家に居たらいろいろと不安にな事もあるでしょうからお正月明けくらいまで、ちょっと入院しようかね。」っと母に言いました。そしてCT検査。
母は、しっかりと受け答えしていたし、CT検査を待ってるときも、昔からの知り合いの放射線の先生とも楽しそうに世間話なんてしてました。
でも翌日、「え?そうなの?ママ、○○さん(放射線の先生)と話してた?」っと覚えていなかったみたいでしたが…

 CT検査の結果を待っていました。
私は、院長先生も問題はなさそうと言っていたし、母も心配そうにしていたけれども、ひどい吐き気や頭痛や麻痺などの強い症状があるわけでもなかったので、ちょっと安心していました。
安心の中にも、不安はありましたが…なるべく考えないようにしていました。

 CT検査の結果が出て、院長先生に父と私が呼ばれました。
途中、「ショックを受けないで聞いてくださいね」なんて言われて、『ドキッ!』っと胸が締め付けられ…階段から落ちそうになりました。
『え??今の何?どういうこと??まさか…ショック受けるって…』もう、頭の中ぐるぐる…
そんなこと言わないでよ…;;
 CTを見せられ、「非常に残念で申し上げにくいんですが、ココに脳腫瘍が見つかりました」と…。
もう、『は??????????』っとしか思えませんでした。
なんで?????何でママが?????
 母は、とっても健康で、私はしょっちゅう風邪引くのに、母は滅多に引かないし、私がインフルエンザになっても絶対移らないし、食事もしっかり作って気をつけていたし(塩分多くて何度か注意したことはあるけど…)、スポーツジムに通って、ジムで運動したり、水泳のクラスに入って泳いだりと、決して不摂生だったわけじゃありません。
ついこの前まで、仕事もしていたし、なのに、なんで??なんで突然?

 先生から、お正月明けに退院を考えていたけれども、そういうわけにいかなくなった。っということ、腫瘍は1〜1.5cmくらいのものが、耳のちょっと手前と頭のてっぺんを結んだ所(左側)あたりにある。っということを告げられました。
 それから、母には精神状態も考えて『軽い脳梗塞』っということにして、腫瘍のことは伏せておくと、看護師さんにも口裏を合わせておくという事でした。
 このご時勢、殆どの病院では告知するし、例外はあれど、私もそう習っているので疑問は多少感じましたが、確かに母の精神状態も不安定だったので、それを考えてのことだとこの時は納得しました。
 この事が後に裏目に出てしまうとは思ってもいませんでした…。
 今後の方針として、お正月明けに提携している脳神経外科病院を紹介し、ガンマーナイフでの手術をする予定だと聞かされました。
 ガンマーナイフで治るの?ママは治るの?いろんなこと忘れていったりしない??
そんな気持ちでいっぱいでした。帰り道、ぽろぽろと涙がこぼれてしまいました。

 一度家へ帰り入院の準備をし、帰省した弟と合流しました。
弟は、前日の電話では新型インフルエンザの濃厚接触者で、しばらく帰れないはずでした。
私が卒業試験前の大事な時期だったので、もしインフルエンザで移ったら大変だ、っという事だったのですが、そんなのいいから帰って来いと言って帰省させました。
 幸い、インフルエンザじゃなかったのでよかったです。
 弟も帰って、父も旅行行かなくて、一か八かの賭けでしたが、どちらも結果よかったと思います。

 本当に突然の出来事でした。長くて重い一日でした。
ただただ、あの元気なママが…信じられない…。それだけです。


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