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  • 2010.10.28 Thursday
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救急車!*09.12.27

◎2009年12月27日SUN

 日曜日の朝、いつものように「えりちゃーん、ゴハンだよ」って母が私を起しに2Fへ来た。
でも、なんだかすっごいフラフラで、足元つまずいてひっくり返るくらいに。
異様な出来事に、胸騒ぎがしてきた。
 1Fへ下りてみると、朝食の準備をしたようだけど…今まで見たことのない光景でした。
いつもは、テーブルを片付けて、お味噌汁にゴハン、焼き魚、納豆…キレイに並べてきちっとした和食なのに…その日は、テーブルはぐちゃぐちゃのまま、私のお茶碗に父のゴハンがよそられて、納豆に入れられたカラシはお椀の方に汚く付いて、何か白っぽい物や油が浮いて冷たくなったお味噌の入ってないお味噌汁。
心臓が締め付けられる位のショックで、今でもはっきり覚えています。
初めて「ただ事ではない」っと、どうしようどうしよう…
何事なのか分からない、これからどうすれば、どうなるのか分からない、不安と焦りでいっぱいでした。

 なんででしょう、こんなときに限って!っていうのは…
28日から父は中国へ旅行の予定でした。
旅行へ行く準備をいろいろしてたようで、母に任せていたので、チケットはどこだ?とか駐車場の予約がどうなってる?とか、アレないコレない、大騒ぎ。
 だけど、母は「えー…、わかんない…」 イライラする父、不安の私。

 取り敢えず母を2Fへ連れて行き寝かせました。
父に母の状態を説明すると、「バカお前、それ脳梗塞かもしれないぞ」って言われ、精神的なものだとずっと思っていた私に、さらに焦りが。
 でも、私もこれでもちょっとは医学を学んでる身、脳梗塞の3兆候といえば、ロレツが回らない・顔面の麻痺、手を真っ直ぐ前に伸ばすと下がってきてしまう。この3つのうち2つでもあれば脳梗塞の疑い80%っと麻酔の授業で習ったのを思い出す。
 脳梗塞じゃないにしても、「ただ事ではない」のは確実。
 どうしたらいいのか全く分からないまま、父には病院行かせろって言われ、病院行くにしても、私運転できないし、どこの病院へ行けばいいの?????
 泣き出しそうだけど、泣いてる余裕もなく、必死で。。。とりあえず電話!
医学部へ通う弟に電話!歯科大の友達へ電話!弟は医学部の先生に電話!
 父が旅行どうしよっかなー…とか言ってる。
今後、もしものことがあったときに、私しかいないんじゃとっても不安。まして、海外に行かれたんじゃ連絡もなかなかとれないし。運転できる人がいないとそれも困る…。
そして旅行はキャンセルすることに。
旅行会社に電話!駐車場に電話!
ネットでいろいろ見ながら、いろんなとこへ電話!

 弟は「脳梗塞じゃないにしても、脳のCTなり調べたほうがいい」と。
友達は「今日は日曜日だから、救急で行っても、脳外科の先生がいるとは限らないし、自分で行くと後回しにされたりするから、救急車で行ったほうが的確な病院に連れて行ってくれると思う」とか。
「近くの地域の特定機能病院」…とはいえ、都内なので、選択肢が多いのは利点でもあり欠点でもあり…。どこに何があるのか、どこ行けばいいのか、やっぱりわからない。
 近いところを探したけれど、こっちとこっち、どっちがいいんだろう?ってなってしまい埒が明かないので、考えた末、救急車を呼ぶことに。

 2Fで寝ていた母は、突然知らない人が来たので、ビックリ。
「自分は普通なのに、なんでこんなことになってるんだろう??」っていう感じでした。
やはり、救急隊の方も、脳梗塞の兆候をチェックしたのですが、その疑いはなさそう。
意識もはっきりしているし、受け答えもしっかりしているので、救急性がないと判断されてしまいました。
 やはり日曜なので、病院に救急車で行ったとしても、応急処置のみで、精密検査等ができないから、翌日外来で病院へ行くことを勧められました。
でも、希望があれば、救急車で適正な病院に連れて行くとのこと。
 母は、「なんでなんで、どうしたの〜???」状態。
そして、結局、救急車での搬送を拒否しました。しっかり自分で達筆な字で自分の名前をサインしてました。

 「で?どこの病院へ?」なんだか、また振り出しに戻ってしまいました。
弟とも話したのですが、20年以上前から知り合いの脳外科の先生がやっている病院があり、そこへ相談することにしました。
 横浜のちょっと先にある、大きな病院ではないのですが私が小学生の頃よく行った病院で、院長先生と放射線の先生と知り合いで良くして貰っていました。
 電話し、症状と現病歴を伝えると、「大丈夫だと思うんだけどね、でも心配なら、検査するから明日おいで」って言うので、父も旅行をキャンセルしたことだし、車で連れて行くこととなりました。


クリスマスのチキン*09.12.26

◎2009年12月26日SAT

 年末年始の準備に、スーパーに買い物へ。
やっぱりフラフラ気味の母を一人にはできないので、買い物へ同行。
 車でスーパーを目指すも、実は、私免許を取ったっきりのペーパードライバー。
試験終わったら、隣に母乗ってゆっくり練習しに行こうねって約束をしてました。
なんとかイケる気がして運転したものの…曲がれない!
ひたすら直進してたらもう、永遠に着かない気がして、結局母が運転することに。。。
全く意味のない…
不安はあったけど、運転は問題なくとっても安全運転。
私が運転したほうが、よっぽど危険でした。

 スーパーへ行き、なじみのお肉屋さんへ行き。
お肉屋さんでは「もう、最近ボケボケしちゃって〜だめなのよ〜おバカになっちゃった〜」なんて笑っていました。
 無事買い物も済ませて、帰るはずだったけど、なかなか家にたどり着かない。
同じところを回ってる気がして…道大丈夫なのか聞くと、
「今日はパパが帰ってくるから、駐車場の方に止めないといけないから」とか、
それにしても、駐車場は家のすぐそばで、方向は同じ。家に帰るのと同じ道でいいはずなのに…
 なんとなく見覚えのある道が見えて、とりあえず曲がって貰って、そしたら私も道が分かり、やっとこさ家に到着。
 前日に、買い物に行ってなかなか家に帰ってこなかったのも、もしかしたらこの日みたいに、グルグル回ってしまっていたのかも…?

 この日は、父の帰ってくる日。父は普段、家とは別に仕事場に近いマンションに住んでいて休みの日の前日に家に帰ってきます。
 26日だけども、クリスマスということで、チキンを予約してあったのを取りに行き、帰ってきたら美味しそうなご飯が待ってました♪


 母は、「エリたんがいるから安心」と私が一緒にいることをすごく頼りにしてくれて、私もそんな母がとても頼りになっていて、きっと今まで生きてきた中で一番…二人で一つだったと思います。
もう、イライラ八つ当たりしたりなんてしない、しっかりママを支えてあげようって誓ったのでした。


クリスマスは焼肉*09.12.25

◎2009年12月25日FRI

 大学の特別期(6年生は、前期・後期・特別期から構成されてます)最後の授業が終わった翌日の25日、お疲れモードの私は二度寝。
 朝、フラフラ気味でトイレが分からなかった母だけども、私が起きたらかかりつけの診療所へ車で行ってきたみたい。診療所の先生は、弟の同級生の両親で、母とも親しくしてる方。
 私がどうだったか訪ねると、お互い色々大変ねーとか雑談して取り敢えず安定剤を処方されたみたいで、飲んだら落ち着いたって言ってました。

 私はいつものように勉強始めたのだけど、買い物に出かけたらしい母が、なかなか帰ってこない…。心配で集中力もふわっふわ途切れ気味。もっと集中しなきゃ、次の試験までもう日にちがないいいいぃぃぃー><
 やっと帰ってきたので、一安心、「なんか道がいろいろ変わっちゃってあっち行ったりこっち行ったりグルグル回っちゃったわよー」って言ってました。
確かに今駅の近くが大掛かりな工事中で、時間帯によって通れたり通れなかったり、道もしょっちゅう変わってるみたい。

 帰ってきて一安心したら、私の方がダウンしてちょっと寝込んだらすっかり夕方に。
勉強してる2Fへやってきて「今日は何が食べたい?」って言うから…
なんとなくビビンバをチョイス☆そんな気分!
 母も、ドーナツがまた食べたいと言ってて、そういえば高島屋に新しくクリスピークリームドーナツが開店したみたいだったから、高島屋へドーナツと焼肉屋へ!
 車の運転が不安だったので、電車で行くことに。電車で一駅!

 高島屋の駅に着いたのだけど、やっぱりフラフラ気味…正確には一歩一歩が小さくてゆっくりな歩きの母で、大丈夫?っと心配したら、薬飲めばちょっと治るって言うから、本当は食後なのだけど、先に薬を飲もうと…したら薬がない!どうやら忘れてきたみたい。
 母を高島屋の椅子で待たせて、急いで家まで戻って薬を取りに行って来ました。
走った走った!戻ってきたら、母は椅子にちょこんと座って、笑顔でありがとー♪
 薬を飲んだ後しばらくしたら、良くなってきたみたいってニコニコ言ってました。
 今考えると、本当に良くなったのか謎です。プラセボ効果的な効果があったのかも?
確かに精神的なストレスもあったから、心が落ち着いたのはあったのかも?
私を心配させないように言ったのかも…?
 ドーナツを買い、焼肉屋へ♪
いつもよりは少食になっていたけど、ご飯も全部食べて、ビビンバも二人で食べて満足!
 風があって寒かったクリスマスの日、帰りは手をつないで家まで帰りました。


 入院後、私が薬を取りに家まで帰ったことは、「えー?そんなことあったっけ?わかんない〜」って言ってました。でも一緒に焼肉屋に行ったこと、ドーナツを並んで買ったことはしっかり覚えていました。
 なんだろう、記憶がまだらなのかな?そして、『そう言われてみればそうだったかも〜』と、昔のことを思い出すような感覚?なのかな??そんなに昔のことじゃないのに、記憶が遠いのだろうか…?


忘れん坊のママ*09.12.23

◎2009年12月23日WED

 卒業試験の一回目が12月11日に終わって、それからの私は不安定でした。
今後の二回目の卒業試験のこと、卒業できたなら次に待ち受けている国家試験のこと、私自身のこと…不安とストレスの中、泣きながら吐いて、吐きながら勉強して…
 そんな私を、ずっとずっと必死で支えてくれたのが母でした。

 でも、私は、そんな母に「私のことなんてわからない」って言ったこともありました。分かってなかったのは、私だったんだね。
 
 23日の日、私は今まで以上の強いストレスで、過呼吸発作で倒れる始末。
私自身のこと、といえば、所謂男女の縺れ?っていうのかな?嫌がらせを受けていました。
ただでさえ、試験前の精神状態のこんなタイミングで…っていう感じ…。
(その辺は今は一応解決した…と思います♪)
 ストレスを母にぶつけてしまう私。ちょっとしたことでイライラしてしまって。。。
そんな自分がとっても嫌でした。こんな風にしたいわけじゃないのに…
 でも母は、私に優しく「エリちゃんは、今まで頑張ってきたのママがよく知ってるんだから、なぁ〜んにも心配いらないよ、ママは何があってもずっとエリの味方だからね」と言ったのをはっきり覚えています。その言葉がどれだけ私を助けてくれたか。

 私は、自分が辛いことや、本当はイライラしたくないのにイライラを母にぶつけてしまう自分が嫌なこと、全て話して、ごめんねって謝りました。
 母も、私に辛い思いを話してくれました。
 母と私は、なんとなく繋がってる、似てる部分がある気がします。
母も「エリたんとママは繋がってるから、エリたんが苦しいときはママも苦しい」って言ってました。
例えば、私が頭痛いと、母も頭痛かったり…
今日はカレーが食べたい気分だ…と思って家に帰ると本当にカレーだったり!

 私の不安の要素のひとつは、母の様子がおかしいので心配だったことです。
20日くらいからかな、私のお薬を置いた場所を忘れたり、ちょっとしたことを忘れることがありました。
でも、私だって、忘れること位しょっちゅうだし、それ以外特に変わったことはなかったので最初は心配もしていなかったのだけども…
 その後『たまに忘れる』→『よく忘れる』になった感じがしました。
しかも、さっきお薬ここに置くって言ったばっかりなのに、すぐ忘れたりして。。。
 家は、2Fの和室に親子2人布団を並べて寝てるのだけど、朝、トイレに行くのに部屋から出られなくて、ドアではなく、押入れの襖を開けたり、壁の方に向かっていったり…
たしかに和室なので、襖は同じ柄ではあるのだけど…
 母自身も、不安だったと思います。普段できることが、なぜか思い出せない…
「ママは完璧主義なとこあるでしょ?だから出来ないとイライラなの〜」って言ってました。
掃除とか適当なのに…

 心配からイライラして厳しく言ったりしてしまったことを後悔していたけれど、この日、話して本当によかったと今は思います。だから今は後悔してません!
 「試験が終わったら全部よくなるよ、ママもエリちゃんもきっとよくなるよ」って一緒に試験終わるまで頑張ろうねって笑顔で話しました。

 まさかこの時、脳に腫瘍が出来てるなんて全く考えもしてませんでした。
ちょっとボケボケすることはあっても、仕事もきっちり…忘年会までしっかり参加して、スポーツジムに行ってプールで泳いだり、しっかりご飯作って…ピンピンしてましたから。
家のこと、お金のトラブルや私の試験の心配で、精神的な問題からくるちょっとした健忘だと、だから試験が終わればきっと全部よくなるって本当に心から思っていました。


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