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  • 2010.10.28 Thursday
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天国へ行く日

 今日、2010年10月25日月曜日、午後3時すぎ母は心停止しました。
先ほど父から連絡があって…
 皮膚の一部と角膜を移植する手術に立ち会うそうです。
臓器提供は母の意志でした。
母が元気だったとき、臓器提供のカードをお財布にいれてたのを見て、
『ママ、臓器提供するの?』って聞いたことがありました。
母は、自分の臓器提供で助かる人がいるならっと、望んでいたことだったので、
私たち家族も同意しました。
 
 日曜日の昨日、父がお見舞いに行き、その日父から電話がありました。
『お見舞い行ってきたけど、ちょっともう、もたないかもしれないなー』っと。
6,7月くらいまでは、車椅子に乗せてお散歩したり、ゼリーや豆腐を食べたりしていたけれど、
もう、体を動かすこともできなくて、手足がひどく浮腫んでしまったそうでした。
ここ1,2週間くらいは、血圧も下がりかなり危険な状態になっていたそうです。
安定しているときで、血圧が70とかだったそうです。
血小板の数が少なくなっていたそうで、皮下出血があったり、胃からも出血していたそうです。

 覚悟はしていました。わかっていました。いつかこの日がくるんだって。
わかっていたのに、わかっていても、やっぱり悲しいし、涙は出るんだなぁ・・・。
大丈夫だけど平常でいられないですやっぱり。
別れは覚悟していたけれども…
 苦しかったかな、痛くなかったかな、とか…母の気持ちを思うと辛くて苦しくて涙が止まりません。
 意識があったかどうかすらよくわからないけれども、
意識があったとしたら、どんな気持ちでいたのかなっとか、もう死ぬのかなって思っていたのかなとか、思いを伝えたいけど話せないなとか…考えると辛くて
 もう、意識なんていらないから、ずっとずっとずっと、家族で幸せに、四人一緒に平凡に仲良くすごしてる夢だけを見ていてくれたらいいのに、って思います。


 このブログも、闘病記を綴っていくはずだったのに、更新不足で結局こんな結末になってしまいました。
でも、途中まで書いて、未公開になっている記事もありますので、随時更新しようと思います。
更新しながら現状を伝えていくつもりが、今日の記事によって先にネタバレ状態になってしまいますが、
私はあれから、国家試験に合格して歯科医師になりました。一年間の研修医というのが法律で決められているので、研修歯科医として修行してます。
7月までは都内の大学病院に勤務してたのですが、8月から院外研修として一般の開業医院で研修するというプログラムなので、今は北海道、旭川にある開業医院で研修を受けています。
12月からまた、東京にもどります。
 環境が変わったり仕事が忙しかったりで、なかなか更新できずにいたのですが、
書き残したいこともいくつかあるので、落ち着いたらまた更新しようと思います。


 ママ、26年間ありがとう。ママとパパの間に生まれて本当に幸せだよ。

ご無沙汰デス

 更新するたびにご無沙汰になっているダメなヤツです。ごめんなさい。
心配かけてしまって申し訳なかったです。
ちょっと環境が変わってなかなか時間もとれなかったりして、更新が止まってしまいましたが、私は無事です。母も私たち家族と一緒に頑張って戦っています。

 母が入院したのは1月15日という真冬で、お見舞いに行く道がとても寒くて、病院の帰り道に気温が電光表示されている場所があるのですが、3℃とか1℃とか今にも雪が降りそうな季節でした。
降りそうで降らない東京ですが…
 いつのまにかコートがいらなくなり、桜が咲き…病院から見えてた桜も散り、すっかり半袖に衣替えし、もう気づいたら9月なんですね。まだ暑いですが!

 私はというと、母が入院する騒動があった時に、自分が運転できないのがかなり痛く、こりゃ運転できるようにならないと…と、ペーパードライバー暦8ヶ月位?だったのですが、父の助手席に乗ってもらって練習して、今はまぁまぁ一人でも普通に走ってます。
 知らない道はちょっと不安ですが、病院までの往復はもうすっかり慣れました!
 ホント、車は運転できた方が、いざっていう時いいですよ!


 こんなペースの更新なので、なかなか時制が一致しないまま、いつまでも過去のお話になってしまっていますが、もう少し…ぃゃ…まだまだお付き合い下さい!
 生活もちょっとは落ち着き、ネット環境も整ったので、また更新再開していきたいと思います。

V-Pシャント手術*10.03.10

◎2010年3月10日

 母は、『お話する』奇跡が起きてから好調でした。
たまに不安定に発熱し、熱があると意識が低くなり、反応をあまりせず寝ている状態でしたが、私たち家族がお見舞いに行くと、とってもうれしそうにニッコニッコ笑ってくれます。
母は本当に笑顔が素敵な人です。
 帰る時も、「また明日ね」っと手を振ると、頷いて手を振ってニッコリ見送ってくれました。
その仕草で、ちょっと安心できました。
逆に、反応がないと、わかっているのか不安になります。
私のことわかってるのかな・・・?っというのが一番不安でした。
母は昔冗談で将来痴呆になって介護になったらやだねっていうお話をしているときに、『将来年とって痴呆になっても、えりちゃんとけんちゃんのことだけは絶対忘れない自信がある』って言っていました。
私はそれをずっと信じてます。正直、確認することもできないので不安になります。自分にそう言い聞かせているだけなのかもしれないです。でも…忘れたりなんてしないよね。。。

 さてさて、この好調な状態のうちに、V-Pシャントの手術を行うこととなりました。
今なら全身麻酔で手術できるんじゃないか。ということです。
 ドレーンをいれてから、感染を起こしかけたり途中で詰まったりして、かれこれドレーンは3回目となっていました。
 一度V−Pシャントのお話があって予定されていたのですが、ドレーンの方が詰まってしまったりで、脊髄液の性状が安定するまで待っていました。
 V-Pシャントは、脳と腹腔を細いチューブでつないで脳脊髄液を腹腔に逃がしてあげるための手術です。チューブは皮膚の下を通って腹腔まで繋げます。

 手術は無事に終わり、その翌日はICUに入っていましたが、無事に病室に戻り、また2,3に日後にはお話してくれるようになりました。


放射線治療始めました*10.02.26

◎2010年2月26日 FRI

 奇跡の起こった翌日、この日はちょっと熱があるようでお話はできませんでした。
 放射線の先生から放射線治療についてのお話がありました。
このとき、初診以来のMRI画像を見ました。
原発巣と思われる脳幹の真ん中辺ちょっと上、後ろの視床の部分に腫瘍があるほか、ちらほらとほかの部分にも転移する形で腫瘍ができているようです。
 この多形膠芽種という腫瘍、放射線はあまり効かないものだそうです。
 放射線治療の副作用について勉強していたので心配だったのですが、幸い、脳だけに照射するし、脳は比較的他の全身に比べ当てる照射量にもよると思いますが副作用が軽いようです。
火傷のような痕が頭皮にできる位で済むようでした。

 今日から一ヶ月程度、放射線治療が行われることとなりました。
ちょっとでも効果が出てくれればいいです。祈るだけです。



奇跡*10.02.25

◎2月25日 THU

 しばらく忙しく久々の更新となってしまいましたっ ごめんなさい><
自分でも、どこまでだったか、内容もあやふやになってしまいました。。。だめですね…

 前回ドレナージを行い状態は落ち着いているようでしたが、
けいれんがあるようで、抗けいれん薬を投与されていたのが原因で、日曜日あたりから発疹が出ていました。最初は手や首周りに発疹が出ているだけだったのですが、
日を追うごとに発疹はひどくなり、顔やお腹、足と全身が発疹だらけになってしまい、
腕は、最初は1つの斑点だったものが、どんどん拡大して内出血し紅斑・紫斑のように全体が地図状に真っ赤…紫になってしまいました。
 ついに24日、皮膚科の先生によって生検が行われたのですが、結果、やはり抗けいれん薬が原因だったようで、ちょっと危ない状態だったそうです。


 そして、25日、突然奇跡が起こったのです。
毎日お見舞いの日々でしたが、度々の発熱、不安定な呼吸、発疹…。
未だに腫瘍に対する治療はできず…。っというのも…
放射線治療も中が壊死してると効果はでないし、そもそも腫瘍がなかなか効果の得られないもので難しく、抗がん剤も副作用が大きいからそれに耐えられる体力がない…とのことで。
 水頭症に対しても、ドレナージではなく、脊髄液を脳から腹腔にまわすV-Pシャントの手術も、全身麻酔を使っての手術なので難しく、ドレーンで感染におびえてるような状態…
 つまりは『手の施しようがない』ってことでした。
担当医の先生の話からも、母の容態からも、なんとなく『死が近い』っということを察していたのですが…

 25日お見舞いに行った日…

 なんか、なんかなんかなんか…!!!!母が…しゃべった…!!!!!!

 それは奇跡のようでした。
一度、失語症になって機能を失いしかも昏睡状態にあったのに…
目も開けてくれない時もあったし、話かけても人形のように止まったままで
先生からも言語機能の回復はないって断言されていました。
私も、父も、先生も看護師さんも、みんながもう二度と会話できないと諦めていました。

 でもしゃべったのです。…ハッキリと!

 父が、秋に母と沖縄旅行に行った時の写真を見せていたときでした、
母が歯を見せて笑って「あ〜楽しかったね」とか「キレイだったね」とか…
「大丈夫?」って聞くとはっきりと「うん」っと返事をし、
おでこの辺りに手を持って摩っているから、「かゆい?」って聞くと、
「お風呂入れないからしょうがないわね」って言いました。
「暑い?」って聞くと、顔をしかめながら「すっごくあっつい」って言うし、窓を開けたら「気持ちいい」って言いました。
「手術したんだよ」って言うと「知らなかった〜」っと言い、私がミニーちゃんのぬいぐるみを見せて「ちょこたんだよ!」(っという名前なんです)って言うと笑って「知ってる」って言いました。

 言葉数は少ないし、自分からペラペラ喋ったりはしないけど、ちょっとした受け答えをしてくれて、
私が、「えり、卒業試験合格したんだよ、卒業したんだよ」って言うと
ニッコリ笑って「よかったね」「安心した」「パパも安心したでしょう」って言いました。
 この奇跡に涙が止まりませんでした。
もう母は、私の卒業を祝ってくれることはないって、卒業の報告はしたけど、ちゃんと分かってもらえたかも分からなく、諦めていました。二度と母の声を聞けないと思っていました。
 なのに…分かってくれたから言ってくれた言葉と笑顔。
 話すことが、どれだけ意味のあることなのか…どれだけ大切なことなのか身にしみて感じました。

 言葉を話すのは2つの要素が必要で、1つは言葉を理解して文章を構成する表現の要素。もうひとつは、それを声に出して話すという動作の要素。
どちらか一方でも欠けてしまうと会話はできないのです。
 先生もこの奇跡にびっくりしていましたが、後に、発疹が出たのでステロイドを投与したことによって、脳のむくみが改善したのではないか。っと言っていました。
 脳って何が起こるか本当にわからないですね…。

 看護師さんは「今日ご自分で歯磨きしたんですよ!」って言っていました。耳を疑って思わずもう一度確認してしまいました。
まさか、しゃべるなんて…!!!

 しつこいけど…本当にしゃべった!!!

脳腫瘍G4、その事実とこれからの運命は避けられないことなのかもしれないけど、
その中でこんな奇跡も起こるんだって、だから私は奇跡を信じています。


母の経緯のまとめ

※随時更新

◎2009年
12月28日 脳腫瘍と診断 某脳神経外科病院に入院
        正月明けに、サイバーナイフを行える提携病院を紹介とのこと

◎2010年
01月08日 紹介先の病院へ行くが追い返され、元入院していた病院に戻る
        家族話し合いの結果、他の病院を予約(1月23日)
01月14日 再度CT検査の結果、進行が急速で23日まで待つのは危険とのこと
01月15日 都内大学病院に緊急入院
        MRIの結果多形膠芽腫の可能性が高いと診断 余命3ヶ月を宣告
        水頭症改善の為、オンマヤリザボア留置の緊急手術を受ける
01月18日 血管造影撮影
01月25日 生検の為に内視鏡下で腫瘍一部摘出 術後集中治療室へ
01月26日 午後、病室へ戻る
02月01日 V-Pシャント手術予定だったが、不可能に
02月03日 脳室ドレナージに変更
02月13日 ドレナージ撤去
02月16日 二度目の脳室ドレナージの手術
02月24日 皮膚生検(発疹の為)
02月26日 放射線治療開始
03月04日 ドレナージ撤去 三度目の脳室ドレナージの手術
03月10日 V-Pシャント手術
05月07日 胃瘻手術(胃と皮膚をチューブで繋ぎ栄養を流入させるもの)
05月24日 抗癌剤テモダールによる治療開始


ドレナージの感染*10.2.16

◎2010年2月16日 TUE

 最近の母は、手を握るととても熱く、からだ全体が火照り、いつも氷枕を頭の下やわきの下に抱えている状態でした。点滴と一緒にどうやら抗菌薬らしきものも…。

 先生からの説明がありました。
水頭症を改善するのに脳脊髄液を外に排出するために、脳室ドレナージを行っていたのですが、やはりドレーンが感染を起しているようで、髄膜炎を起しかけてるみたい。
仕方がないので、13日の土曜日にドレーンを外したようでした。
 髄膜炎は、二倍量の抗菌薬を二種類使ったお陰で今日16日になって炎症は治まったようでした。
まだ度々発熱があるけれど、それは体温中枢のコントロールが上手く制御できないからです。
血液検査からは炎症反応は治まったようでした。
 だんだん呼吸も喘ぎ気味で、なんだか苦しそう。。。
本格的に死のカウントダウンが迫ってるんだと思いました。
先生の説明からも、「長くはない」っと言わんとしているのを感じました。
 また、ドレーンを抜いたせいで、また頭にどんどん水が溜まってきて、ドレーンを入れていた一時期は目を開けていたのに、また開けてくれなくなっちゃった…意識がないみたいです。

 炎症反応が治まって、熱が下がっているこの今のチャンスにもう一度反対側(左)にドレーンを設置するオペの提案がありました。
 しかし、以前のドレーンの手術と違って、積極的には勧めないと言われました。
今回は、リスクがとても大きいからです。
前回は、腫瘍のある左側を避けて、右にドレーンを設置したのですが、感染を起してしまったので今回は右は使えません、なるべく感染部位から遠ざけないといけないようです。
なので今度は腫瘍のある側である左に設置することになります。
 体力もかなり低下して、呼吸も乱れているので、局所麻酔で行うオペですが、もしかしたら術中に…、っということも考えられるし、手術が成功したとしても、腫瘍がある側なので、ドレーンが腫瘍にぶつかってしまったりすると脊髄液が上手く排出されなかったり、また今度感染を起してしまったら、今度こそ発熱に耐えられないかもしれない…など。。。
 もしこのまま手術をしなかったら…母は意識が戻らないまま、水がどんどん溜まりいつかは脳ヘルニアを起してしまい、水頭症によって亡くなってしまいます。死を待つだけです。

 父も私も考えました。答えは同じでした。手術してもらうことを選びました。
 できてしまった腫瘍に逆らうことはできません。でも、腫瘍が原因で亡くなるのではなく、水頭症によって亡くなるのは嫌でした。
 できることはしてあげたいっと思っていました。水頭症は治せるのだから…
このまま何もしなかったら、私は一生後悔すると思いました。
リスクを考えると怖かったです。でも、もし手術して水頭症が改善して、また目を開けてくれたら…そう思っての決断でした。

 夜遅くまで手術が終わるのを待っていました。手術は無事に終わりました。よかったです!
また、目を開けてくれるかな…?もう少しで、弟も帰ってくるからガンバレ…!!!


ちょうど一ケ月*10.2.15

◎2010年2月15日 MON

 母の余命を宣告されてから、ちょうど一ヶ月になります。
母はまだ、脳腫瘍と戦っています。
来月3月18日は母の55歳の誕生日です。

 一ヶ月経っても、ふとした時に涙が溢れるばかりです。
お見舞いに行って、母の前では笑顔でいようと、泣いてばかりいると心配かけちゃうから、泣かないようにしようと決めても、いつもポロポロ涙がこぼれてしまいます。


○丁度一ヶ月の日に記録した、私を支えてくれたいろんな方への想いです。****

 この三ヶ月、本当にいろんなことがありました。
母と私の2人でずっと住んでたこの家だけど、 独り暮らしで外に出たとかじゃなく、実家に独り暮らしというのはとても寂しいものです(´д⊂)
 でも、いろんな人に支えられて、母の友達もいっぱいお見舞いにきてくれて、私の身を案じてくれて卒業を祝ってくれて。
 母は本当にたくさんの方から愛されていました。『清美ちゃんはいっつも笑顔で、頑張り屋さんで文句や愚痴の一つも言わないのよ』『清美ちゃんがいるとみんなが笑顔になって楽しいのよ』そんな風にみなさん、私にお話してくれました。
 余命を告げられて、どうしていいのかわからなくなってたときに、わざわざ隣の隣の県から車で駆けつけてくれたり、電話で母のことを話したら私の母のことなのに涙流したり。
卒業試験合格の電話したら、泣いて喜んでくれたり、夜中までずーっと電話で話をきいてくれたり、
いてくれただけで、気持ちが落ち着けたり…
 本当に、自分一人で生きてるんじゃないって、周りに支えられて生きてるのを痛感して、とても感謝してます。
ここまでこれたのも、これからも、みんながいるから。

 試験の結果がどうであれ、私はこれからも自分のできることを頑張ります。
心配性ですぐ後ろ向きになっちゃうけど。。。
そしたらまた、ケツ引っ叩いてくだされ。

本当にありがとう。

******

 思えば2月14日にこのブログをスタートしました。
この感謝の気持ちを一生忘れないために。そして、誰かに何かを少しでも伝えたくて。

 ブログを始めるにあたってネットを見ていた時に、いろいろな方のブログの存在を知り拝見いたしました。
 同じ脳腫瘍に苦しむ方、そのご兄弟やご家族の方、別の重い病に苦しむ方…胸が締め付けられる思いで拝見しました。
 それは、辛さももちろんですが、自分の後ろ向きな考えに自己嫌悪したからです。
同じ脳腫瘍と診断されても、一生懸命前向きに頑張って生きてる方がたくさんいて、その姿にとても励まされ、このまま落ち込んで悲観してては、いつまでも泣いてばかりではダメだと。。。

 落ち込むこともあるけれど、頑張ってる母や、同じ病気の方を思い出し私も精一杯頑張り与えられた試練を一歩一歩越えて行こうと改めて心に誓いました!


国家試験の日*10.2.7

◎2010年2月7日 SUN 

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(日記から転載)

 2月6・7日国家試験を終えて。
お…オワタorz  の一言でした。

 ムリだと確信したので、本当に今まで応援してくれた友達や、父と弟に申し訳なくて
医療費も月何十万もかかるし(個室だし…)弟の学費はアホほど高いし、借金だってあるし、いつまでも私がお金使えるような立場じゃないのに、ダメだとなると予備校とか予備校とか…
 しかし予備校に行かずして、太刀打ちできるような国家試験のLvじゃなくなってきてるし。
実際受けてみて、「はぁ!?こんなこと習ってないし!誰がおしえてくれるの?こんなマニアックなとこまで聞く!?」みたいな問題ばっかり。
とても家で独りでやるのはムリだと…
そんなわけで、しばらく寝込みました。はぁ。

 なんで確信したのかと言うと。。。
8割正解しなきゃいけない必修問題というのが70問あります。
それが8割とれてないと、他がどんなに出来ても満点だろうが落ちます!足きりですね。
その必修が8割に届かなかった…っぽい。
なのでオワタと。

 こう、暗ーく落ち込んで、心配しているお金のことを話したら、父はこういいました。
「お前のグチグチ悩んでることなんてしょーもないちいせぇよ!ダメだったらもう一回やりゃぁいいだけの話じゃないか!来年受けれるじゃないか。卒業だってできたんだろう?!ママなんて死ぬか生きるかで戦ってるんだぞ」と。
 本当にそうだ。その通り。

 卒業式のリハーサルがあり12日に大学に行きました。
そしたら、必修なんて8割届かなかったよーって、落ちた落ちたー、予備校どーしよ?団体割引あるらしいぞーっとか言って、なんやら、旅行に行くとか、もう結果発表(3月末)まで考えないことにした、とかみんな前向きで、私もちょっと元気になったヨ。

 どうやら必修8割いってる人、3、4割りしかいないとかいう噂。
毎年、なんらかの問題が削除になったり不適になったりしてるから、まだわからないらしい。
だけどきっとダメだろうなー。
 でももし、ダメでも、あきらめるわけにはいかないから、私はできるまでやるしかないのだ。
必修問題見直したけど、「アッー!!!!!!!!!!!!!1111」ってカンジの…取れただろうに!っというとこがあったもん。
やっぱその辺甘いんだ。自分の勉強不足です。
みんなが間違えたトコとか、正解してるのによぉ…。


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 いつまでもずっと悩んでいても、結果が変わるわけではないし、悩み反省することはプラスになっても、ずっと悩み続けていても、少しも前に進まないですよね。うじうじと無駄な時間を費やしてしまう。
 きっと、母だったら、先に進む光をくれるに違いないから、だから私も前向きに…とりあえず結果のでる3月末までは、考えてもしょうがないので前向きに頑張ることにしました。


ドレナージに変更*10.02.03

◎2010年2月3日 WED

 生検後ICUに入っていましたが、翌日1月26日に病室に戻ったようで、午後私が病室に行くと、今まで目をずっと瞑っていたままの母が、なぜだか目を開けていました。
 いろんな話をすると、うんうんと頷いていました。

 生検の結果が出るのは、2週間くらいかかるそうでした。
 内視鏡下で直接腫瘍を目で見た結果、やはり多形膠芽腫に間違えないそうで、多形膠芽腫の画像所見を何例も見てきている他大学病院の先生にもMRIを診てもらったそうですが、やはり多形膠芽腫という判断だったということで、生検の結果を待たずに治療を進めることとなりました。
 後に結果が出たのですが、取ってきた腫瘍が壊死していたらしく、結局生検で分からなかったそうです。

 一方、入院当日に緊急手術で脳内に留置したオンマイアリザボアの袋からは毎朝30〜40ccの脳脊髄液を抜いていて、そちらも生検を行ったところ、腫瘍細胞が検出されなかったので、チューブを頭からお腹に通すV-Pシャントを行うこととなりました。
 オンマイアリザボアは毎朝、注射器で液を引き抜くのはかなり痛いみたいで、抜いた直後の状態は良くても、時間が経つにつれて、液が溜まり状態が悪くなってしまうようなのです。
 入院当初は、液に腫瘍細胞がいるかどうかわからなかったために、V-Pシャントは禁忌だったのですが、検出されなかったので、行うことができるようになったのです。

 2月1日にV-Pシャントの手術を予定していました。
しかし、この日になって突然中止になりました。
 どうも、25日に内視鏡下で腫瘍の一部をとってから、脊髄液の性状が変わってきてしまったらしく、液にタンパクや血液が多く混じっているようで、V-Pシャントの管は皮下を通す為かなり細く、今のまま行うと、途中で詰まってしまう危険性があるので、液の性状が整うまで待つこととなりました。
 その間、ドレーンを設置して、太い管で外へ直接液を排出することとなり、2月3日に脳室ドレナージを設置する手術をすることになりました。


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